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大石浩之47歳の決意

齢47を迎えて――不惑から知命へ

齢四十七を迎え候。紋付袴で正座する大石浩之
齢四十七を迎え候

47歳の誕生日に、これまでの感謝と、これからの時間の使い方を記します。受け取る側から渡す側へ。不惑から知命へ。掲げる言葉は「勇往邁進」です。

大石浩之(おおいし ひろゆき)|公開:2026年8月16日

まさか自分が47歳になる日を迎えるとは、若い頃には想像もしていませんでした。もちろん、年齢は誰もが等しく重ねていくものです。しかし、20代の頃に思い描いていた47歳は、もっと遠く、もっと落ち着き、人生の答えをすでに手にしている大人でした。

ところが、いざ自分がその年齢になってみると、分からないことは今も多く、迷うこともあれば、失敗することもあります。新しいものを前にして戸惑い、自分の未熟さを思い知らされる日も少なくありません。それでも、若い頃の自分と今の自分が同じかと問われれば、決して同じではありません。

47年という年月の中で、さまざまな経験を重ねてきました。人に助けられた記憶があり、思うようにならなかった悔しさがあり、自分の至らなさによって誰かに迷惑をかけた反省もあります。遠回りに見えた道が、後になって自分を支えてくれたこともあります。成功よりも失敗から学び、順風よりも逆風の中で、自分が本当に大切にしたいものを少しずつ知ることができました。

47歳とは、何もかも分かっている年齢ではなく、自分が何を分かっていないのかを、ようやく自覚できるようになった年齢なのかもしれません。

人生を1日にたとえるなら、47歳は午後に入った頃でしょうか。朝の時間はとうに過ぎましたが、夕暮れを語るにはまだ早く、日はまだ高いところにあります。できることも、行くべき場所も、果たすべき役割も残されています。

社会の第1線で働き、これまで受け取ってきたものを直接返していける期間を考えると、残されているのは10数年かもしれません。もちろん、その先も社会との関係が終わるわけではありません。年齢を重ねたからこそ果たせる役割もあるでしょう。それでも、体力があり、自分の意思で新しいことに挑戦できるこれからの10数年は、私にとって特に大切な時間です。

これまでの人生を振り返れば、私は決して1人の力だけで歩いてきたのではありません。家族、友人、仕事で出会った方々、地域の皆様、そして名前も知らない多くの先人が築いてきた社会に支えられて、今日まで生きてきました。

道路があり、学校があり、医療があり、仕事があり、文化があり、言葉があります。それらは当たり前に存在しているように見えますが、実際には、誰かが時間と労力を注ぎ、次の世代のために残してくださったものです。

若い頃は、社会から何を得られるかを考えることが多かったように思います。どのような仕事に就くか、どれほど評価されるか、何を手に入れられるか。それも自分の生活を築くために必要な問いでした。しかし、47歳になった今、問いの向きが少し変わってきました。

これからは、社会から何を受け取るかだけではなく、自分が社会に何を渡せるかを考えていきたいと思います。自分が去った後に何を残せるのか。大げさな功績でなくても構いません。誰かの役に立つ知識、地域の記憶、挑戦する人を支える言葉、次の世代が1歩を踏み出しやすくなる環境。そのようなものを、1つでも多く手渡していきたいと思います。

若い頃は社会から何を得られるかを考え、47歳からは自分が社会に何を渡せるかを考える。知識、地域の記憶、支える言葉、踏み出しやすい環境を次の世代へ。
図1 問いの向きが変わる:受け取るから渡すへ

江戸時代に生きる人にとって、47歳とはどのような年齢だったのでしょうか。

江戸時代は平均寿命が短かったといわれますが、その数字には乳幼児の死亡が大きく影響しています。すべての人が30代や40代で亡くなったわけではなく、幼少期を越えた人の中には、60代、70代まで生きた人もいました。それでも、医療も衛生環境も社会保障も今とは異なる時代に、47歳まで生きることの重みは、現代以上に大きかったに違いありません。

武士であれば、家や藩を支え、後進を育てる立場にあったでしょう。商人であれば、長年かけて築いた信用を守り、商いを次の世代へつなぐ責任を負っていたかもしれません。農村に暮らす人であれば、天候や土地を読み、作物を育てる知恵を若い世代へ伝え、家族や村の営みを支える存在だったでしょう。

当時は、検索すれば答えが見つかる時代ではありません。いつ種をまくのか、どの雲が雨を知らせるのか、道具をどう直すのか、祭りをどのように営むのか。生きるために必要な知恵は、人から人へ、言葉や手仕事を通して受け継がれてきました。47歳の人は、単に年齢を重ねた人ではなく、共同体の経験や記憶を次の世代へつなぐ人でもあったのだと思います。

もし私が江戸時代に生きていたなら、47歳を迎えられたこと自体に、深い感謝を抱いたことでしょう。そして、自分が培った知識や経験を次の世代へ渡す責任を、今以上に強く意識したかもしれません。

現代の私たちは、江戸時代の人々とは比較にならないほど多くのものを与えられています。遠く離れた人と瞬時に言葉を交わし、世界中の情報に触れ、病気になれば医療を受けることができます。しかし、便利さが増したからといって、私たちが自動的に賢くなるわけではありません。情報が増えたことで考える余裕を失い、選択肢が増えたことで、かえって進む方向が分からなくなることもあります。

だからこそ、江戸時代の47歳が担っていたであろう、経験を共同体へ返す役割は、形を変えながら現代にも必要だと思います。私がこれまでに学んだこと、実際に試して分かったこと、失敗して気づいたことを自分の中だけにとどめず、仕事や文章、日々の行動を通して、誰かが活用できる形で残していきたいと思います。

孔子は『論語』の中で、「吾15にして学に志す。30にして立つ。40にして惑わず。50にして天命を知る」と述べました。40歳は「不惑」、50歳は「知命」とされます。47歳の私は、まさにその2つの間に立っています。

40歳になれば迷いが完全になくなり、50歳になれば天から与えられた使命が突然分かるということではないでしょう。孔子ほどの人物でさえ、人生を段階的な学びとして語っています。学び、考え、行動し、失敗し、また学ぶ。その積み重ねの中で、人は少しずつ自分の進むべき道を知るのだと思います。

正直に申し上げれば、私は今も惑っています。仕事の判断に迷い、人との関わり方に悩み、自分が進むべき方向を見失うこともあります。しかし、若い頃の迷いと今の迷いは、少し違います。

若い頃は、他人の評価によって進む方向が大きく揺れていました。今も周囲の言葉に影響されることはありますが、自分が大切にしたい軸は以前より明確になってきました。

誠実であること。人や地域との縁を粗末にしないこと。自分だけの利益ではなく、周囲にとっての意味を考えること。分からないことを分かったふりをしないこと。そして、いくつになっても学ぶことをやめないことです。

不惑とは、何も迷わなくなることではなく、迷ったときに戻る場所を持つことなのかもしれません。自分の考えに固執するのではなく、新しい事実に触れれば考えを改めながらも、人として守るべき根本を見失わないことです。そのように考えれば、私もようやく不惑の入口に立ち始めたのかもしれません。

『論語』の15志学・30而立・40不惑・50知命の階段。47歳はその途中に立ち、迷ったときに戻る場所(誠実さ、縁、周囲にとっての意味、分かったふりをしない、学びをやめない)を持つ。
図2 不惑とは、迷わないことではない

50歳の「知命」までは、あと3年です。天命とは、何もせずに運命を待つことではありません。自分に与えられた条件を知り、その中で果たすべき役割を引き受けることだと思います。

人は、生まれる時代や場所、才能、出会う人のすべてを選べるわけではありません。しかし、与えられたものをどのように使うかは、自分で選ぶことができます。これまでの経験を自分だけのために使うのか、誰かの役に立つ形へ変えていくのか。過去の失敗を後悔だけで終わらせるのか、同じ失敗をする人を減らす知恵に変えるのか。その選択は自分に委ねられています。

今、私は地域の歴史や暮らしを調べ、それを文章やウェブを通して伝える活動に取り組んでいます。地域では当たり前と思われている風景や行事、店、人の営みも、記録されなければ、いつか静かに忘れられてしまいます。日々の暮らしの中に埋もれている小さな価値を見つけ、調べ、言葉にして残すことは、華やかではありませんが、意味のある仕事だと思っています。

誰かが地域を知る入口になり、訪ねるきっかけになるかもしれません。その地域に暮らす人が、自分たちの町を見直す機会になるかもしれません。地元の若い人が、自分の町にこのような歴史があったのかと気づくかもしれません。1つの記事ですぐに社会が変わるわけではありませんが、何も記録されなければ、何も伝わりません。その小さな可能性を信じ、これからも積み重ねていきたいと思います。

地域について発信する際には、良い面だけを美しく並べるのではなく、実際に足を運び、人の話を聞き、事実を確かめたいと思います。人口減少、高齢化、担い手不足、空き家など、地域が抱える課題からも目をそらしません。良いところは良いと伝え、問題があれば問題として考える。そのような誠実な記録を重ねることが、私にできる社会への恩返しの1つです。

そして今、私たちの前には、AIという大きな変化が現れています。AIは文章を考え、情報を整理し、画像を作り、データを分析し、複雑な作業を助けてくれます。若い頃の私は、機械と対話しながら文章を書き、世界中の情報を短時間で整理する未来など想像していませんでした。

しかし、どれほど技術が進歩しても、道具を何のために使うのかを決めるのは人間です。AIが答えを示しても、その答えが正しいか、誰かを傷つけないか、地域や社会にとって意味があるかを判断する責任まで、AIに預けることはできません。

AIは膨大な情報を扱えます。しかし、地域の道を実際に歩いたときの空気や、祭りを守る人の表情、長年店を続けてきた人の声、季節によって変わる田畑の匂いを経験することはできません。古い記録を整理することはできても、その記録を守ってきた人の思いを直接感じることはできません。人と人との間に生まれる信頼は、効率だけでは築けないのです。

私は、AIを恐れて遠ざけるのでもなく、すべてを任せて依存するのでもなく、よき協働者として活用していきたいと思います。AIによって調査や整理にかかる時間を短縮できるなら、その分、現場へ足を運び、人と話し、より深く考える時間を増やします。文章の下書きを助けてもらえるなら、事実確認と推敲に力を注ぎ、より正確で伝わる言葉に仕上げます。

AIを使うときには、事実を確かめ、人への敬意を失わず、自分自身の言葉を手放さないことを大切にします。AIが作ったものをそのまま自分の成果とはせず、最後は自分で考え、判断し、責任を持ちます。

地域の小さな物語と、世界へつながる未来。その間に立って橋を架けるのは、AIと協働する人。使う目的を決め、判断し、責任を持つのは人。
図3 AIはよき協働者

47歳でAIという新しい道具に出会えたことを、私は幸運だと思います。これまでの経験と新しい技術を組み合わせることができるからです。若い世代には、新しい技術を柔軟に使う力があります。その反面、長く生きてきた人には、人間の弱さや、信頼を築くことの難しさを知っているという強みがあります。新しさと経験のどちらかだけを選ぶのではなく、両方を結びつける役割を担いたいと思います。

江戸時代の47歳が長年の経験を共同体へ伝えたように、私は自分の経験と新しい技術を使って、地域の知恵や記憶を未来へつないでいきます。先人から受け継いだ言葉と、これから生まれる新しい表現。地域の小さな物語と、世界へつながるインターネット。その間に立ち、橋を架けることが、今の私にできる役割だと思っています。

これからの10数年、私は目立つ人ではなく、信頼される人を目指します。大きなことを1度だけ成し遂げるのではなく、小さなことを誠実に積み重ねます。間違いを指摘されたときには耳を閉ざさず、必要であれば謝り、改めます。自分より若い世代に経験を押しつけるのではなく、まず話を聞き、その挑戦を支えられる人でありたいと思います。

社会貢献とは、特別な活動だけを指すものではありません。約束を守ること、誠実に仕事をすること、得た知識を分かりやすく伝えること、若い人の挑戦を応援すること、地域の記憶を残すことも、社会への大切な貢献です。

自分1人で地域全体を変えられるとは思いません。AIを使えば、あらゆる問題を解決できるとも思いません。しかし、自分にできることが何もないとも思いません。まずは目の前の1人、目の前の1つの課題に向き合います。その小さな実践を続けることが、やがて社会への恩返しになると信じています。

50歳の「知命」までの3年間は、遠くにある使命を探すのではなく、すでに目の前にある役割を丁寧に引き受ける時間にします。使命は、ある日突然、劇的に降りてくるものではないのでしょう。今、自分のそばにいる人、任されている仕事、関心を持っている地域、書こうとしている文章の中に、自分が果たすべき役割の種はすでにあります。

誕生日は、ただ1つ年を取る日ではありません。これまでの時間に感謝し、これからの時間の使い方を決め直す日です。47という年齢を、老いへの不安としてだけ受け止めるのではなく、今までの経験を社会へ返す出発点として受け止めます。

齢47を迎えました。

これまで私を支えてくださったすべての方々と、今日まで受け継がれてきた社会に、心から感謝いたします。これからは、残された年月をただ数えるのではなく、自分が何を残せるかを考えてまいります。過去を悔やむだけでなく、経験を知恵へと変えます。新しい技術に流されるのではなく、人のため、地域のため、未来のために役立てていきます。

40にして惑わずという境地には、いまだ遠く及びません。50にして知るべき天命も、まだはっきりとは見えていません。しかし、迷ったときに戻るべき自分の軸は、少しずつ見え始めています。そして天命とは、待っていれば与えられるものではなく、目の前の責任を誠実に果たす中で見えてくるものだと思うようになりました。

これからも学ぶことをやめません。現場へ足を運び、人の声に耳を傾け、事実を確かめます。自分の言葉に責任を持ち、新しい技術を正しく使い、地域の記憶を未来へつなぎます。そして、これまで受けてきた恩を、次の世代へ少しずつ返していきます。

大きなことを成し遂げられるかどうかは分かりません。しかし、自分にできる小さなことを、誠実に積み重ねることはできます。その積み重ねが、いつか誰かの役に立ち、社会の片隅をわずかでも明るくすることを願っています。

47歳、不惑から知命へ。

これまでの感謝を胸に、志を新たにいたします。残された時間を恐れるのではなく、与えられた時間を大切に生かします。昨日までの自分に安住せず、今日からまた学び、考え、行動します。これまでに培った経験と、これからも失いたくない好奇心を携え、人と地域と未来のために、自分の歩幅で1歩ずつ進んでまいります。

その決意を表す言葉として、私は「勇往邁進」を掲げます。

急がず、怠らず、驕らず、諦めず。志す方向へまっすぐに進む。
図4 勇往邁進

困難を恐れず、志す方向へまっすぐに進みます。急がず、怠らず、驕らず、そして諦めません。47歳から始まる新たな1年を、社会への感謝と恩返しの1年にすることを、ここに決意いたします。

勇往邁進 急がず、怠らず、驕らず、そして諦めません。