導入——求人チラシの数字が、夏の終わりに書き換わる

磐田の店先やスーパーの掲示板に貼ってある、パートの求人。そこに書かれた時給の数字が、毎年秋に一斉に書き換わります。

書き換えているのは、店主の気分ではありません。最低賃金という、法律で決まった下限です。これを下回る時給で人を雇うことは、どんな理由があってもできません。

その下限が、いま決まりかけています。7月28日、国の中央最低賃金審議会が令和8年度の「目安」を答申しました。静岡県が属するBランクは、56円。

いまの静岡県最低賃金は1,097円です。目安どおりに決まれば、1,153円

ただし、目安は目安です。実際に静岡の額を決めるのは、静岡地方最低賃金審議会の答申を受けた静岡労働局長。その議論は7月末に本格的に始まったと報じられました。山場は、この8月です。

まず、事実を整理する

数字を正確に並べます。

令和8年7月28日、中央最低賃金審議会が厚生労働大臣に答申。引上げ額の目安は、Aランク54円、Bランク56円、Cランク56円

この目安どおりに全国で改定されれば、全国加重平均は55円上がって1,176円(現在1,121円)。引上げ率は4.9%です。

ここは押さえておきたいところですが、前年度の目安は66円・6.3%でした。つまり今年は、上げ幅そのものは縮んでいます。

静岡県はBランクです。だから目安は56円。1,097円+56円=1,153円

そして、ここが誤解されやすい点です。目安は「決定」ではありません。中央の審議会が示した参考値であって、各県の審議会が地域の賃金実態を調べ、労使の意見を聞いたうえで答申し、労働局長が決定する。目安どおりになる年もあれば、上乗せする県もあります。

去年の静岡がどう動いたかを見ておくと、今年の見通しが立ちます。令和7年度は、静岡地方最低賃金審議会の答申が9月19日、官報公示が10月2日、発効が11月1日でした。引上げ額は63円、1,034円から1,097円へ。

例年、地方の答申は8月中というのが標準的な型です。ただし去年の静岡は9月19日までかかり、発効も、多くの県が採る10月1日ではなく11月1日でした。だから正確に言えば、「この8月に決まる」は例年の型としては正しく、去年の実績に照らせば9月にずれ込む可能性もある、ということになります。

この5年で、静岡の下限はどう動いたか

推移を並べると、今回の56円の意味がはっきりします。

2020年885円、2021年913円、2022年944円、2023年984円、2024年1,034円、そして2025年1,097円。5年間で212円、24.0%の上昇です。

ここに1,153円が乗ると、2020年比で268円、30.3%6年で3割です。

静岡県最低賃金の推移を示す横棒グラフ。2020年885円、2021年913円で前年比28円増、2022年944円で31円増、2023年984円で40円増、2024年1,034円で50円増、2025年1,097円で63円増。2025年の額は令和7年11月1日発効。2026年は令和8年7月28日の国の目安でBランク56円とされ、目安どおりに改定されれば1,153円となる見込み。2020年から2025年の5年間で212円・24.0パーセントの上昇、1,153円になれば2020年比で268円・30.3パーセントの上昇。ただし2026年の額は確定ではなく、静岡地方最低賃金審議会の答申を経て静岡労働局長が決定する。
図1 静岡県最低賃金の推移と、令和8年度の目安(静岡労働局・厚生労働省の公表資料から作成)

働く側から見た56円の重みも、時間で割ってみます。1日8時間で448円、月20日で8,960円、フルタイム相当の年2,080時間で116,480円。年に11万円は、決して小さくありません。

一方で、雇う側から見ると同じ数字が別の顔になります。パートを10人抱える事業所なら、年に約116万円の人件費増。社会保険料の事業主負担も、これに連動して増えます。

磐田で、いちばん静かに起きること——「産業別の最低賃金」が追い越される

ここからが、磐田の記事として書きたい本題です。

最低賃金には、県全体に適用される地域別最低賃金のほかに、特定の産業だけに適用される特定(産業別)最低賃金があります。これは地域別より高い水準を、その産業に限って設定する仕組みです。

静岡県には、いま3つの特定最低賃金があります。

はん用機械器具、生産用機械器具、業務用機械器具、輸送用機械器具製造業——1,133円(令和7年12月21日発効)。

鉄鋼、非鉄金属製造業——1,117円(同)。

電子部品・デバイス・電子回路、電気機械器具、情報通信機械器具製造業——1,097円(令和7年11月1日発効)。

磐田は、この一つ目にまっすぐ当たります。輸送用機械器具製造業。市内の工場と、その下にぶら下がる部品メーカーの多くが、この区分です。

さて。地域別が1,153円になると、どうなるか。

最低賃金は、複数が適用される場合高いほうが適用されます。1,153円は、1,133円より高い。1,117円より高い。1,097円より高い。

つまり、静岡の特定最低賃金3つはすべて、地域別に追い越されます。産業別に上乗せしていたはずの水準が、県全体の下限に飲み込まれて、事実上の役目を失う。

電子部品系にいたっては、すでに1,097円で地域別と同額です。上乗せは、いまの時点でゼロになっています。

静岡県の地域別最低賃金と特定産業別最低賃金を並べて比べた図。現在の地域別最低賃金は1,097円で令和7年11月1日発効。特定最低賃金は、電子部品・デバイス、電気機械器具、情報通信機械器具製造業が1,097円、鉄鋼・非鉄金属製造業が1,117円、はん用機械器具・生産用機械器具・業務用機械器具・輸送用機械器具製造業が1,133円で、後の二つは令和7年12月21日発効。国の目安どおりに地域別が1,153円になると、これら三つの特定最低賃金をすべて上回る。最低賃金は高いほうが適用されるため、産業別の上乗せは事実上消える。
図2 地域別が1,153円になると、静岡の特定(産業別)最低賃金3件をすべて上回る

これは制度の欠陥ではありません。地域別の上がり方が、産業別の改定サイクルより速いために起きる、算術的な結果です。特定最低賃金は労使の申し出を受けて別途審議されるので、追いつくまでに1年ずれる。

けれど現場に起きることは、はっきりしています。「うちは機械器具製造業だから1,133円が下限だ」と管理していた事業所は、この秋、確認の基準を1,153円に差し替えなければなりません。賃金台帳の点検も、就業規則の見直しも、そこからです。

もう一つの現場——「130万円まで働ける時間」が減る

時給が上がると、パートで働く方の手取りが増える。それは事実です。けれど、扶養の範囲で働いている方には、逆向きの影響も同時に来ます。

単純な割り算をしてみます。年収130万円という区切りを目安にすると——

時給1,097円なら、130万円に届くまで約1,185時間。時給1,153円なら、約1,128時間。

差は約57時間です。年間57時間、月にならして約4.8時間。同じ金額に届くまでに働ける時間が、それだけ短くなる。

お金の総額は変わらないのに、シフトに入れる日数が減る。職場から見れば、いちばん慣れたパートさんの手が、秋から細くなるということです。

もっとも、いわゆる「年収の壁」は制度の見直しが続いていて、境目の額も条件も動いています。ここでは金額の水準そのものを断定せず、「時給が上がると、同じ年収に届く時間は必ず短くなる」という算数だけを申し上げておきます。ご自身の条件は、勤務先や年金事務所、税務署でご確認ください。

評価——良い点を三つ

注文の前に、今回の目安の良いところを挙げます。

1つ、ランク差が縮む方向であること。Aランク54円に対して、B・Cは56円。都市部より地方の上げ幅が大きい。静岡はBですから、この設計の恩恵側にいます。地方から人が抜けていく流れに、賃金の面から歯止めをかけようという意思が読めます。

2つ、上げ幅が落ち着いたこと。66円・6.3%から55円・4.9%へ。急ブレーキでも急アクセルでもない。去年の63円を消化しきれていない中小企業は、磐田にもたくさんあります。2年続けて6%台なら、耐えられない事業所が出ていたはずです。

3つ、静岡が去年、発効を11月1日にずらしたこと。10月1日ではなく11月1日。準備期間を1か月余分に確保する判断でした。賃金システムの改修も、就業規則の届出も、時間がいります。今年も同じ配慮があるのなら、事業者にとっては小さくない親切です。

注文——磐田市に三つ

ここからは、国や県ではなく、磐田市に対して書きます。最低賃金を決めるのは市ではありません。けれど、市にできることは確実にあります。

1つ。市の「雇用にかかる支援」のページに、最低賃金の改定時期と支援の入口を書いてほしい。

いま市のこのページには、パートタイマー就職相談面接会(年4回、ワークピア磐田)、職業総合相談、内職相談、外国人総合相談、ハローワーク磐田や県の労働相談窓口の連絡先が並んでいます。親切なページです。

けれど最低賃金については、「静岡労働局のホームページに掲載されています」という案内があるだけです。

市内の小さな事業所——理容室、飲食店、介護の事業所、私のような不動産屋——が知りたいのは、「いつから、いくらになるのか」と「設備投資して賃上げしたときに使える国の助成があるのか」の2つです。その2行を、市のページに置いてほしい。リンク1本の仕事です。

2つ。市が発注する業務の委託料・指定管理料に、賃上げ分をどう反映するのかを示してほしい。

市の施設の清掃、警備、給食、公園の管理。これらの現場は、最低賃金にかなり近い時給で回っています。

最低賃金が56円上がるのに、市が支払う委託料が据え置きなら、差額は受託した事業者がかぶります。かぶりきれなければ、人数を減らすか、質を落とすしかない。そのしわ寄せは、最後に施設を使う市民に届きます。

年度途中に最低賃金が上がることは、毎年分かっていることです。契約に賃金改定のスライド条項を入れるのか、補正で見るのか。市の考え方を、契約の相手方に早めに示してほしい。

3つ。市自身が雇っている時給制の職員の改定を、どう間に合わせるのか。

市は磐田で有数の使用者でもあります。会計年度任用職員の報酬が最低賃金を下回ることは、法律上ゆるされません。これは配慮ではなく、義務です。

昨日書いた福祉相談課の募集は月給ですから直接は関係しません。けれど市には時間額で働いている方が大勢います。11月なり10月なりの発効日に、条例と規則の改正が間に合うのか。ここは市民に説明する義務のある部分だと思います。

結論——「決まってから慌てる」のを、今年はやめませんか

提案をまとめます。

第一に、市の雇用支援のページに、改定時期と国の賃上げ支援制度の入口を明記すること。秋のパートタイマー就職相談面接会に合わせるなら、9月の回がちょうどいいタイミングです。

第二に、市の委託契約・指定管理協定における賃金改定の扱いを、決定前に整理して示すこと。

第三に、市が雇う時給制の職員について、発効日に間に合う改定の道筋を公表すること。

そのうえで、この記事の本当の言いたいことを書きます。

最低賃金の改定は、災害ではありません。毎年、必ず来ます。そして今年は、7月28日の時点で「静岡は56円が目安」という数字がもう出ている。正式決定は8月から9月ですが、準備を始めるのに決定を待つ必要はありません。

1,153円という数字を紙に書いて、いまの賃金台帳と突き合わせる。それだけで、10月か11月に何が起きるかが分かります。下回る人が何人いるか。その人たちを1,153円に上げたら、上の等級との差がどれだけ潰れるか。賃金は下限だけ上げても収まりません。上に押し上げる連鎖が必ず起きる。そこまで含めて、いま計算できます。

最後に一言。私は磐田で小さな不動産の仕事をしていて、空き家の草刈りや家の中の片づけを人にお願いすることがあります。時給の話は、いつも心苦しいものです。

暑いなか、他人の家の庭に半日入って、汗みずくで出てくる。その仕事に1,153円が高いとは、私にはとても思えません。むしろ、この額を下限と呼ばなければならない状況のほうを、考えたくなります。

それでも、払う側の資金繰りが苦しいのも本当です。両方が本当で、両方を同時に抱えているのが、磐田の小さな事業所の現実です。

だからこそ、行政にお願いしたいのは「賃上げしろ」という号令ではありません。いつ、いくらになるかを早く正確に知らせること。使える制度の入口を一箇所にまとめること。そして市自身が発注する仕事の値段を、上がった賃金に合わせること。その三つだけで、現場はずいぶん息がつけます。

出典(2026年8月確認)

  • 厚生労働省「令和8年度中央最低賃金審議会目安に関する小委員会(第6回)」(令和8年7月28日開催。同日、第75回中央最低賃金審議会が「令和8年度地域別最低賃金額改定の目安について」を厚生労働大臣に答申。引上げ額の目安=Aランク54円、Bランク56円、Cランク56円) https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_74965.html
  • 中央最低賃金審議会「令和8年度地域別最低賃金額改定の目安について(答申)」(令和8年7月28日、厚生労働大臣あて。目安どおり改定された場合の全国加重平均は1,176円、引上げ額55円、引上げ率4.9%。前年度の目安は66円・6.3%。各地方最低賃金審議会での調査審議を経て、令和8年10月頃からの適用が見込まれる) https://www.mhlw.go.jp/content/11302000/001729642.pdf
  • 静岡労働局 労働基準部 賃金室「静岡県最低賃金」(静岡県最低賃金=時間額1,097円、令和7年11月1日発効) https://jsite.mhlw.go.jp/shizuoka-roudoukyoku/roudoukyoku/roudou/chingin.html
  • 静岡労働局「令和7年度『静岡県最低賃金』の改正を決定しました」(改定額1,097円、改定前1,034円、引上げ額63円、静岡地方最低賃金審議会の答申=令和7年9月19日、官報公示=令和7年10月2日、発効=令和7年11月1日) https://jsite.mhlw.go.jp/shizuoka-roudoukyoku/roudoukyoku/roudou/chingin/newpage_00042.html
  • 静岡県「静岡県の最低賃金」(特定〈産業別〉最低賃金:はん用機械器具・生産用機械器具・業務用機械器具・輸送用機械器具製造業=1,133円〈改正前1,073円、令和7年12月21日発効〉、鉄鋼・非鉄金属製造業=1,117円〈改正前1,057円、同日発効〉、電子部品・デバイス・電子回路・電気機械器具・情報通信機械器具製造業=1,097円〈令和7年11月1日発効〉) https://www.pref.shizuoka.jp/sangyoshigoto/shuroshien/rodoseisaku/rodokankyo/1003237/1026044.html
  • 磐田市「雇用にかかる支援」(パートタイマー就職相談面接会=年4回・会場はワークピア磐田、職業総合相談=ワークピア磐田1階・火〜土曜9時〜17時、内職相談、外国人総合相談、西部県民生活センター労働相談窓口=053-452-0144、ハローワーク磐田=0538-32-6181。最低賃金については静岡労働局のホームページを案内。担当=経済産業部 創業・雇用推進グループ 電話0538-37-4904) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/sangyou_business/koyoutaisaku_shien/1002261.html
  • NHK静岡「静岡県の最低賃金 56円引き上げ目安に本格的な議論 始まる」(2026年7月31日)

※本記事に書いた1,153円は、静岡県がBランクの目安どおりに改定された場合の額であり、確定した金額ではありません。実際の額と発効日は、静岡地方最低賃金審議会の答申を経て静岡労働局長が決定します。最新の情報は必ず静岡労働局のホームページでご確認ください。また、年収130万円の計算はあくまで割り算による目安であり、社会保険の被扶養者の要件や税制上の扶養の要件は制度改正により変動します。ご自身の条件については、勤務先・年金事務所・税務署にご確認ください。