導入——4文字だけ、目に留まった
市のホームページで公開されている会議の報告書を、ときどき読みます。
不動産の仕事をしていると、「この土地はこれからどうなるのか」を先に知りたい場面が多いからです。答えは、たいてい会議録に落ちています。
今回、令和8年7月10日に開かれた「磐田市文化財保護審議会」の報告書を読みました。市のページに、PDFで公開されています。
2ページの短い文書です。その1ページ目に、こう書かれていました。
「4 傍聴人 なし」
4文字です。
この日、会議には委員10名と事務局7名、合わせて17人がいました。市民は、ゼロ。
そして、その部屋で決まったことがあります。
兜塚古墳から出土した資料66点を、磐田市指定有形文化財に指定する。その答申書が、この日、提出されました。
ここまでなら、よくある話です。私が「これは書かないといけない」と思ったのは、次の一致に気づいたからでした。
会議が開かれた場所は、磐田市埋蔵文化財センターの2階、研修室です。
そして今、同じ建物の1階のエントランスホールで、甑塚古墳から出土した須恵器126点が、入場無料で公開されています。会期は8月30日まで。
2階で「値打ち」が決まり、1階で「実物」が並んでいる。階段でつながっています。
そして、その2階の部屋に、市民は一人も来ていない。
今日はこの話です。
まず、事実を整理する——7月10日、2階で何が決まったか
報告書の記載を、そのまま追います。
日時は令和8年7月10日(金曜)14時30分から16時00分。場所は磐田市埋蔵文化財センター2階 研修室。
出席は、磐田市文化財保護審議会委員10名。中山正典会長、加藤理文副会長ほか8名の委員が、名前入りで記載されています。事務局は7名。スポーツ文化観光部長、文化財課長、課長補佐、調査グループ長、歴史文書館館長、主査、主事です。
傍聴人、なし。
審議事項は1件でした。「兜塚古墳出土資料の市指定について」。
事務局の説明として、こう書かれています。
「兜塚古墳は磐田市兜塚公園内に位置する古墳時代中期前葉の古墳」。
「静岡県最大の円墳であることは分かっていたが、令和2・5・6年度に実施した測量調査により東海地方最大級の円墳であることが今回、明らかとなった」。
ここは、太字で読んでください。静岡県最大から、東海地方最大級へ。格が一段上がったのが、この3年の調査です。
指定の対象も明記されています。「指定対象は令和7年度刊行の総合調査報告書に掲載している出土資料66点で、いずれも市が保管」。
そして、その66点がどう出てきたか。ここが、私にはいちばん重かった。
「鏡、玉類、鉄刀は太平洋戦争中の昭和19年に対空陣地用の塹壕掘削にともない出土」。
戦争の最中、飛行機を撃つための陣地を掘っていて、1500年前の鏡が出てきた、ということです。埴輪類のほうは「確認調査や表採により見つかった」とあります。
委員のやりとりも、記録されています。
【中山会長】昭和19年の出土状況に関する記録類はあるのか
これに対する答えが、こうです。「当時の文部省考古担当(現在の文化庁美術工芸課)が来たという記録があるが、それ以外に詳細な記録は不明」。
【佐口委員】地域の貴重な資料と考えているので、指定してよい。
【加藤委員】報告書掲載の出土品を一括で指定。
そして結論。「兜塚古墳出土資料を磐田市指定有形文化財(考古学)に指定する答申書が提出された」。
審議は、これで終わりです。所要は1時間30分。そのあとは報告事項が6件続きます。
1階で公開されているのは、別の古墳の器です
ここで、混同を避けるために、はっきり書いておきます。
2階で指定が決まったのは「兜塚古墳」の66点。1階で公開されているのは「甑塚古墳」の126点です。別の古墳です。
それでも並べて書くのは、この2つが、磐田の文化財が今どう扱われているかを、両側から見せているからです。
甑塚古墳のほうを説明します。読みは「こしきづか」。場所は磐田市岩井です。
市が発行している「いわた文化財だより」に、詳しい特集が載っています。そこから引きます。
「6世紀初め頃、県内で最も早く横穴式石室が設けられた。直径約26メートルの円墳とされ、市内で唯一石棺が見つかっている」。
石室の大きさは長さ6.4メートル、幅2.85メートル、高さ1.95メートル。人が立って入れる大きさです。
そして、「以上のことから、当時の静岡県西部で最も有力な首長の墓と考えられます」と結ばれています。
この石室から出た須恵器が、今回の126点です。年代についても、面白い記述があります。
「石室内から出土した多量の須恵器が作られた年代は、6世紀の初め頃から終わり頃までの100年くらいの幅があります」。
つまり、一度で埋められたものではない。横穴式石室は入口を開け直せるので、何度も人が葬られました。これを追葬といいます。
100年かけて、同じ部屋に器が足されていった。そう考えると、126点という数字の見え方が変わります。
もう一つ、この古墳については、忘れられない一行があります。
「甑塚古墳がある場所とその周囲は民有地です。見学はできません」。
市が、自分の広報紙に、はっきりそう書いています。
古墳そのものは、見に行けません。だから、器を見るしかない。そして今、その器が8月30日まで、無料で並んでいます。
行き方と、開いている時間
実用の情報を、まとめます。
特別公開「甑塚古墳の須恵器」。会期は令和8年7月27日から8月30日まで。会場は磐田市埋蔵文化財センターのエントランスホールです。
今日は8月9日ですから、残りは21日です。
市の施設案内によれば、開館は午前8時30分から午後5時。休館日は国民の祝日と年末年始(12月29日から1月3日)。
ここは注意してください。8月11日は「山の日」で祝日にあたるため、休館です。
場所は磐田市見付3678-1。入館は無料です。
車の場合、駐車場は磐田市立図書館の東側に10台。多くはありません。
バスなら、JR磐田駅前バスターミナル2番のりばから遠鉄バス「二俣山東行き」に乗って、「図書館前」下車、徒歩1分です。
展示されているのは高坏や壺、杯など多彩な須恵器で、この数量は東海地方でも屈指と紹介されています。
1階には常設の展示スペースもあり、市内の代表的な遺跡や遺物の移り変わりを、時代ごとに見られます。問い合わせは文化財課(電話0538-32-9699)です。
評価——良い点を三つ
1つ、委員の発言を、名前つきで公開していること。
これは、想像以上に珍しいことです。
この種の会議報告は、「審議の結果、異議なく承認された」の一行で終わることが少なくありません。それだと、誰が何を考えて賛成したのかが、まったく残りません。
磐田市の報告書には、【中山会長】【佐口委員】【加藤委員】と、発言者と中身が書かれています。会長が「記録類はあるのか」と踏み込んで聞き、事務局が「詳細な記録は不明」と正直に答えた。そのやりとりが、そのまま残っている。
これは、公開の仕方として上等です。
2つ、指定の範囲を「報告書に載っているもの」で切ったこと。
加藤委員の「報告書掲載の出土品を一括で指定」という意見のとおりに、令和7年度刊行の総合調査報告書に掲載された66点が対象になりました。
地味ですが、これは賢いやり方だと思います。指定の範囲が、誰でも読める本の中身と一致する。あとから「あれは入っているのか」と揉めません。
3つ、決める建物と、見せる建物が同じであること。
審議会は埋蔵文化財センターの2階。特別公開は同じ建物の1階。そして入館は無料です。
役所の会議室で決めて、展示は別の施設で、というのが普通です。階段を降りれば実物がある、という配置は、それ自体が市民に開かれた形をしています。
注文——三つ
1つ。会議の「開催案内」を、開く前に載せてほしい。
これが最大の注文です。
市のページには、この審議会について「磐田市文化財保護審議会の開催案内や報告を掲載します」と書かれています。「開催案内」と書いてあるのです。
ところが、実際に掲載されているのは令和8年度第1回の報告PDF1本で、その更新日は7月31日。会議が開かれたのは7月10日ですから、3週間後です。
つまり、いま市民が知ることができるのは「終わったこと」だけです。傍聴人がゼロだったのは、たぶん、行けなかったからではありません。やっていることを知らなかったからです。
お願いしたいのは、次の開催の1週間前までに、日時・場所・議題・傍聴の可否と定員を、同じページに1画面ぶん載せること。
これは費用の話ではありません。すでに決まっている日程を、先に書くか後に書くかの違いだけです。
2つ。指定した66点を、実物で見せてほしい。
報告書には「いずれも市が保管」とあります。つまり、66点は市の手元にあります。
指定というのは、放っておくと紙の上だけの出来事になります。告示が出て、一覧表に1行増えて、それで終わる。
ですが、市にはすでに「やり方」があります。いま1階でやっている、甑塚古墳の須恵器126点の無料公開が、まさにそれです。
お願いしたいのは、兜塚古墳の66点についても、指定の告示に合わせて、同じエントランスホールで無料公開すること。会期は1か月で十分です。
「東海地方最大級の円墳だと今回わかった」というニュースは、実物と一緒に出したほうが、はるかに届きます。
3つ。「わからない」を、そのまま展示に書いてほしい。
昭和19年、対空陣地の塹壕を掘っていて、鏡と玉類と鉄刀が出た。その出土状況の詳細な記録は、残っていない。
この事実は、隠すようなことではありません。むしろ、これ自体が磐田の戦争の記録です。
お願いしたいのは、キャプションに一行、こう書くこと。「昭和19年、対空陣地の塹壕掘削中に出土。当時の詳細な記録は残っていない」。
「わかっていること」だけを並べた展示より、「ここまではわかった、ここから先はわからない」と書いた展示のほうが、人は長く立ち止まります。私はそう思います。
結論——階段を、降りるだけ
提案をまとめます。
第一に、審議会の開催案内を1週間前までに掲載すること。第二に、指定した66点を告示に合わせて無料公開すること。第三に、記録が残っていないことを展示にそのまま書くこと。
3つとも、新しい予算はほとんど要りません。いまあるものを、いつ、どう見せるかという話です。
そのうえで、読んでくださっている方への話を書きます。
特別公開は、8月30日まで。残り21日。8月11日は休館です。入場は無料で、申し込みも要りません。
お盆に帰省するお子さんやお孫さんがいるご家庭なら、ここは涼しくて、無料で、そんなに混んでいません。正直、この時期の行き先としては、かなり良い条件だと思います。
最後に一言。
私は不動産の仕事をしています。だから、遺跡の話は、他人事ではありません。
磐田市のページには「開発に伴う埋蔵文化財の取り扱い」という項目があります。遺跡の範囲にかかる土地で工事をするときは、事前に手続きが要ります。土地を扱う立場からすると、これは日常の実務です。
そして、甑塚古墳について市が書いている一行を、もう一度置きます。
「甑塚古墳がある場所とその周囲は民有地です。見学はできません」。
1500年前の首長の墓が、いまは誰かの土地の下にあります。相続が起きて、売られて、いつか何かが建つかもしれない。そういう場所です。
だから、掘って、洗って、番号を振って、記録に残すという地味な仕事が要ります。
数字を並べます。
甑塚古墳の発掘調査は、昭和34年。整理作業が始まったのが、令和元年度。そこから今も続いています。
掘ってから、整理を始めるまで、およそ60年。
兜塚古墳のほうも、昭和19年に出た鏡が、令和8年になって指定される。80年以上あとの話です。
行政の仕事には、結果が出るまでに人ひとりの一生ぶんかかるものがあります。文化財は、その典型です。
7月10日、17人が集まった2階の部屋に、市民は一人もいませんでした。
その1階に、いま126点の器が並んでいます。8月30日まで、無料で。
会議に行くのは、正直、しんどい。私も毎回は行けません。
でも、階段を降りるだけなら、できます。
出典(2026年8月確認)
- 磐田市「磐田市文化財保護審議会」(ページ説明=「磐田市文化財保護審議会の開催案内や報告を掲載します」。掲載=「令和8年度第1回会議」報告PDF〈r8-1houkoku.pdf、179.2KB〉、更新日2026年7月31日。問い合わせ=スポーツ文化観光部 文化財課 電話0538-32-9699) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/shiseijouhou/shingikai_iinnkai/sports_midokoro/1016726.html
- 磐田市「令和8年度 第1回 磐田市文化財保護審議会 報告」(日時=令和8年7月10日〈金〉14:30〜16:00、場所=磐田市埋蔵文化財センター2階 研修室、出席者=委員10名〈中山正典会長・加藤理文副会長ほか〉および事務局7名、「4 傍聴人 なし」。審議事項=「①兜塚古墳出土資料の市指定について」。事務局説明=「兜塚古墳は磐田市兜塚公園内に位置する古墳時代中期前葉の古墳」「静岡県最大の円墳であることは分かっていたが、令和2・5・6年度に実施した測量調査により東海地方最大級の円墳であることが今回、明らかとなった」「指定対象は令和7年度刊行の総合調査報告書に掲載している出土資料66点で、いずれも市が保管」「鏡、玉類、鉄刀は太平洋戦争中の昭和19年に対空陣地用の塹壕掘削にともない出土」「埴輪類は、確認調査や表採により見つかった」。主な質問・意見=【中山会長】「昭和19年の出土状況に関する記録類はあるのか」→「当時の文部省考古担当〈現在の文化庁美術工芸課〉が来たという記録があるが、それ以外に詳細な記録は不明」、【佐口委員】「地域の貴重な資料と考えているので、指定してよい」、【加藤委員】「報告書掲載の出土品を一括で指定」。結果=「兜塚古墳出土資料を磐田市指定有形文化財(考古学)に指定する答申書が提出された」。報告事項6件=①特別史跡遠江国分寺跡整備工事の進捗状況②国指定史跡新豊院山古墳群の斜面保護対策③国登録有形文化財〈建造物〉登録候補④旧赤松家にかかる指定文化財〈建造物〉の補強・修繕⑤文化財啓発事業等実績⑥文化財調査実績) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/016/726/r8-1houkoku.pdf
- 磐田市「文化財課展示・イベント情報」(更新日2026年7月30日。特別公開「甑塚古墳の須恵器」=会期 令和8年7月27日〜令和8年8月30日、会場 埋蔵文化財センター。問い合わせ=スポーツ文化観光部 文化財課 電話0538-32-9699/ファクス0538-32-9764) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/sports_midokoro/bunkazai/bunkazainitsuite/1015553.html
- 磐田市「施設ガイド 埋蔵文化財センター」(所在地=「〒438-0086 静岡県磐田市見付3678-1」、開館時間=「午前8時30分から午後5時」、休館日=「国民の祝日、年末年始(12月29日から1月3日)」、入館料=「入館無料」。1階の展示スペースでは「市内の代表的な遺跡や遺物の移り変わりが時代ごとに」鑑賞できる。駐車場=「磐田市立図書館東側10台」。アクセス=「JR磐田駅前バスターミナル2番のりば 遠鉄バス『二俣山東行き』乗車、『図書館前』下車徒歩1分」) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/shisetsu_guide/toshokan_bunka/tenji/1003512.html
- 磐田市教育委員会教育部文化財課「いわた文化財だより 第233号」(甑塚古墳〈こしきづか、磐田市岩井〉の特集。「昭和34年に発掘調査をおこなった、甑塚古墳の報告書の完成・公表を目的とし、令和元年度から継続して整理作業をおこなっています」。「6世紀初め頃、県内で最も早く横穴式石室が設けられた。直径約26mの円墳とされ、市内で唯一石棺が見つかっている」。「長さ6.4m、幅2.85m、高さ1.95mの石室内と墳丘から、須恵器という窯で焼いた硬い土器や土師器という素焼きの土器が多量に出土していて、日常的な器のほかに、県内でも数少ない儀式用の須恵器が多く含まれている」。「以上のことから、当時の静岡県西部で最も有力な首長の墓と考えられます」。「石室内から出土した多量の須恵器が作られた年代は、6世紀の初め頃から終わり頃までの100年くらいの幅があります」。「甑塚古墳がある場所とその周囲は民有地です。見学はできません」。盾持ち人埴輪=高さ82cm・幅41cm・奥行最大28cm、伊豆を除く東海地方では初めての確認例) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/024/dayori233.pdf
- 磐田市「文化財」/「市指定文化財」/「開発に伴う埋蔵文化財の取り扱い」(市指定文化財は有形文化財〈建造物・彫刻・絵画・工芸品・書跡・典籍・歴史資料・古文書・考古資料〉、民俗文化財〈有形民俗・無形民俗〉、記念物〈史跡・名勝・天然記念物〉の区分で一覧を掲載。2026年8月9日時点の一覧に甑塚古墳・兜塚古墳の出土資料の記載は確認できず。「開発に伴う埋蔵文化財の取り扱い」は遺跡で建設工事・土木工事を行う場合の手続きを案内) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/sports_midokoro/bunkazai/bunkazainitsuite/index.html
- 特別公開「甑塚古墳の須恵器」告知(会期=2026年7月27日〈月〉〜8月30日〈日〉、会場=磐田市埋蔵文化財センター エントランスホール、休館日=8月11日〈火〉、入場無料。「須恵器126点」を特別公開、「高坏や壺、杯など多彩な須恵器」、数量は「東海地方でも屈指を誇る」。甑塚古墳=磐田市岩井、古墳時代後期〈6世紀初頭〉に築かれた県西部有数の首長墓、石室から出土) https://abc0120.net/2026/08/04/225961/
※会期・開館時間・休館日・展示内容は変更される場合があります。おでかけの前に磐田市埋蔵文化財センター(文化財課/電話0538-32-9699)または市の公式ページで必ずご確認ください。開館時間は市の施設案内では「午前8時30分から午後5時」、告知記事では「9:00〜17:00」と表記が分かれているため、早い時間に行かれる場合はご確認ください。兜塚古墳出土資料の市指定は、令和8年7月10日の審議会で「答申書が提出された」段階であり、本文執筆時点で市の指定文化財一覧への掲載は確認できていません。指定の確定時期・告示の内容は市にご確認ください。「残り21日」は2026年8月9日から会期末までを筆者が数えたものです。不動産の実務や現場に関する記述は、筆者が業務で受けた相談の範囲での実感であり、統計に基づくものではありません。
