導入——今度は「開催しました」だった
先週、私は「あさって、傍聴10人の席が開く」という記事を書きました。子ども・子育て会議の開催告知が、開催の2日前に出ていた——という話です。上流ほど中身を動かせるのに、上流ほど市民から見えにくい。そう書きました。
その数日後、市のサイトに別の審議会の情報が出ました。今度は「磐田市文化財保護審議会を開催しました」。7月31日付です。開催の告知ではなく、開催の報告でした。
報告書のPDFを開いてみました。そして、二つのことに驚きました。一つは、中身がとても面白かったこと。もう一つは、その場に誰もいなかったことです。
まず、何が話されたのか
会議は令和8年7月10日(金)の午後2時30分から4時まで、磐田市埋蔵文化財センターの2階研修室で開かれました。出席は委員10名と事務局7名。議題は一つ、「兜塚古墳出土資料の市指定について」です。
報告書に書かれていた内容を、そのまま紹介します。
兜塚古墳は、磐田市の兜塚公園の中にある、古墳時代中期前葉の古墳です。静岡県最大の円墳であることは以前から分かっていましたが、令和2・5・6年度に実施した測量調査により、東海地方最大級の円墳であることが今回、明らかになりました。
指定の対象は、令和7年度に刊行された総合調査報告書に掲載されている出土資料66点。いずれも市が保管しています。そして、その出土の経緯が、なんとも言えません。鏡、玉類、鉄刀は、太平洋戦争中の昭和19年に、対空陣地用の塹壕を掘ったときに出土したものだというのです。埴輪類は、その後の確認調査や表面採集で見つかりました。
審議では、会長から「昭和19年の出土状況に関する記録類はあるのか」という質問が出ています。事務局の答えは、当時の文部省の考古担当(現在の文化庁美術工芸課)が来たという記録はあるが、それ以外の詳細な記録は不明、というものでした。委員からは「地域の貴重な資料と考えているので、指定してよい」「報告書掲載の出土品を一括で指定」といった意見が出て、兜塚古墳出土資料を磐田市指定有形文化財(考古)に指定する答申がまとまりました。
いかがでしょうか。戦争中に防空壕を掘っていたら、1600年ほど前の鏡と玉と鉄刀が出てきた。その資料が、いま市の文化財になろうとしている。私はこれを、じゅうぶん面白い話だと思います。
そして、報告書の4行目
報告書の冒頭は、こう並んでいます。日時。場所。出席者。そして四つ目に、この一行がありました。
「4 傍聴人 なし」。
誰も、聴きに行かなかったのです。東海地方最大級の円墳だと分かったばかりの古墳。戦時中の塹壕から出てきた鏡と鉄刀。それが市の文化財になるかどうかを決める会議に、市民は一人もいませんでした。
ここで、もう一つ書き添えておかなければなりません。市はいま、まさにその兜塚古墳の企画展を開いています。7月30日に告知が出ていた文化財課の企画展「イワタの巨大古墳 ~兜塚から堂山へ~」です。ほかにも「甑塚古墳の須恵器」の特別公開、中原B古墳群の発掘調査成果展、埋蔵文化財センター開館40周年のクイズラリー。この夏、磐田は古墳で盛り上がっているのです。
企画展には、おそらく人が来るでしょう。けれども、その企画展の主役である兜塚古墳の出土資料を「市の文化財にするかどうか」を決める会議には、誰も来なかった。展示は見に行くけれど、値打ちを決める場は見に行かない。これは責める話ではありません。私だって、7月10日にその会議があることを知りませんでした。
評価——良い点と、注文したい点
良い点を3つ挙げます。
1つ、報告書が具体的で、読んで面白いこと。日時、出席者、議題、そして委員の発言まで名前入りで残っています。「昭和19年の記録はあるのか」という質問と、それへの答え。専門用語は多いものの、書きぶりは誠実です。行政の会議録は要旨だけの味気ないものが多い中で、これは価値があります。
2つ、過去の記録も残っていること。ページには令和4〜7年度の分もまとめられています。「返事のない投書箱に二度目の手紙は来ない」と私は書きましたが、記録が積み上がっているのは、それだけで信用になります。
3つ、市が今、文化財を前に出そうとしていること。企画展、特別公開、成果展、40周年のクイズラリー。見付宿の記事で私は「磐田には駅前とは別の、1100年の蓄積を持つ中心がある」と書きました。古墳まで遡れば、その蓄積はもっと厚い。売り物になる歴史が、この土地にはあります。
そのうえで、注文が3つ。
1つ。事前の開催案内が見当たらないことです。ページには「開催案内や報告を掲載します」と書かれていますが、私が確認した範囲で掲載されていたのは報告だけでした。傍聴ができるのかどうかも、このページからは読み取れません。「傍聴人なし」と書くのなら、その前に「傍聴できます」と知らせる必要があります。
2つ。公表までに21日かかっていること。会議は7月10日、掲載は7月31日です。急ぐ性質の議題ではありませんが、3週間は少し長い。企画展の会期と重なるなら、なおさら早いほうが響きます。
3つ。審議会ごとに、見せ方がバラバラであること。ここが今日いちばんの論点です。子ども・子育て会議は開催2日前に告知が出て、傍聴定員は10名と書かれていました。文化財保護審議会は、事前の案内が見当たらず、21日後に報告が出ました。同じ市の審議会なのに、扱いがまるで違う。市民の側からすると、どの会議がいつ開かれ、聴きに行けるのかどうか、まったく見当がつきません。
対案・結論——「決める場」も、展示してほしい
提案を3つ書きます。
第一に、審議会に共通する告知のルールを決めること。開催の2週間前までに告知する。傍聴の可否と申込方法を必ず書く。報告は開催後2週間以内に公表する。この三つを全審議会で揃えるだけで、市民から見た景色は変わります。会議ごとに担当課が違っても、市民にとっては同じ「磐田市の会議」です。
第二に、審議会カレンダーを、市のサイトに置くこと。「今月、磐田市ではこの会議が開かれます」という一覧です。7月の総ざらいの記事で私は8月に開く三つの席を並べましたが、あれを市が公式にやってほしい。探しに行かないと分からない状態が、いちばん人を遠ざけます。
第三に、これは提案というより、お願いです。企画展と審議会を、結びつけて広報してください。「いま展示している兜塚古墳の出土品は、7月10日の審議会で市の文化財にする答申が出たものです」——この一行を展示のパネルに添えるだけで、展示を見に来た人が「そういう会議があるのか」と知ります。次の審議会には、一人か二人、傍聴に来るかもしれません。文化財の値打ちを決める場は、それ自体がひとつの文化です。
最後に一言。私は「無関心の値段」という記事で、磐田の無関心の半分は「つくられた無関心」だと書きました。今日の話も、その一例です。7月10日に何が話されるのか、知る手段が市民の側になかった。だから誰も行かなかった。「傍聴人 なし」は、市民の関心の低さの記録ではなく、知らせ方の記録です。
それにしても、と思います。昭和19年、この土地の人たちは空襲に備えて穴を掘っていました。その手が、1600年前の鏡に触れた。戦争のための穴から、古代の宝が出てきたのです。その資料が令和8年に市の文化財になる——磐田は、そういう厚みを持ったまちです。兜塚の企画展、私は見に行くつもりです。そして次に文化財保護審議会が開かれるときは、日程を確かめてみようと思います。今度は「傍聴人 1名」と書かれるように。
出典(2026年8月2日確認)
- 磐田市「磐田市文化財保護審議会」および「令和8年度第1回 磐田市文化財保護審議会 報告」(2026年7月31日更新。開催=令和8年7月10日14:30〜16:00/磐田市埋蔵文化財センター2階研修室、出席=委員10名・事務局7名、傍聴人なし、議題=兜塚古墳出土資料の市指定について、測量調査により東海地方最大級の円墳と判明、指定対象は総合調査報告書掲載の出土資料66点、鏡・玉類・鉄刀は昭和19年の対空陣地用塹壕掘削にともない出土、市指定有形文化財に指定する答申、担当=スポーツ文化観光部 文化財課) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/shiseijouhou/shingikai_iinnkai/sports_midokoro/1016726.html
- 磐田市 新着更新情報(2026年7月30日):文化財課企画展「イワタの巨大古墳 ~兜塚から堂山へ~」、「甑塚古墳の須恵器」特別公開、中原B古墳群発掘調査成果展、埋蔵文化財センター開館40周年クイズラリー https://www.city.iwata.shizuoka.jp/newslist.html
※会議の内容は市が公表した報告に基づいています。企画展の会期・内容は変更される場合があります。詳細は磐田市公式サイトおよび文化財課へご確認ください。