導入——あと5日です
今日は8月10日、月曜日です。
8月15日まで、あと5日。
81回目の八月十五日が来ます。
この日、磐田市民文化会館「かたりあ」で磐田市平和祈念式が開かれます。開場は午前9時、開式は午前10時、閉式は午前11時30分の予定。入場料はありません。
私は不動産の仕事をしています。実家じまい、空き家、相続、そして介護。そういう相談を受ける立場です。
だから正直に書きます。私がこの話を書こうと思ったのは、平和が尊いから、という理由だけではありません。
仕事で古い家を片づけていると、押し入れの奥から出てくるものがあります。軍隊手帳。写真。手紙。表彰状。海軍の帽子。
そして、そういうものが出てきたとき、家族はだいたいこう言います。
「これ、どうしましょう」。
その場で「わかる人」はもう、家の中にいません。そのものが何なのかを説明できた人は、たいてい、その家の片づけの理由になった人だからです。
今日は、その話を数字と場所で書きます。
まず、事実を整理する——8月15日、かたりあで何があるか
実用の情報から先に置きます。
磐田市平和祈念式。日時は令和8年8月15日(土曜)。開場9時00分、開式10時00分、閉式11時30分(予定)。
会場は磐田市民文化会館「かたりあ」ホール(磐田市上新屋678番地1)。入場料はありません。
市の案内には、開催の理由がこう書かれています。
「過去の戦争の惨禍に思いを致し、平和を希求する想いを次世代へ継承していくため、磐田市平和祈念式を開催いたします」。
問い合わせは市の担当課(福祉の総務を担当する課)で、電話は0538-37-4814です。
この式には、もうひとつ仕掛けがあります。
磐田市は「広島平和記念式典小中学生派遣事業」を続けています。市のページによれば、平成25年度からは小学生も加えて派遣しています。
直近で公表されている令和7年度の日程は、こうでした。
7月25日に結団式および事前学習会。8月5日から6日にかけて広島へ派遣。そして8月15日、磐田市平和祈念式に参列。
参列するだけではありません。その式で、派遣された子どもの代表が「平和への想い」を発表します。
事業の目的も、市の言葉で書かれています。
「未来を担う子どもたちに、原爆の投下された地で式典に参列することにより、様々なものを自身で感じてもらうと同時に、平和への思いを継承してもらいたい」。
広島で受け取って、磐田で渡す。10日で一往復する設計です。
担当は総務部総務課総務グループ、電話0538-37-4803。なお、このページの更新日は2025年9月18日で、内容は令和7年度のものです。今年(令和8年度)の派遣人数や当日の式次第は、本文を書いている時点では確認できていません。気になる方は上の番号に一本、電話をしてください。
磐田に残る「戦争の跡」を、三つ数える
ここからが、今日の本題です。
静岡県は「戦争アーカイブ」という取り組みで、県内の戦争遺構の所在地を公開しています。更新日は2026年2月26日。
そこに載っている遺構は、4件です。御前崎市のトーチカ平和祈念公園、浜松市中央区の三方原飛行場トーチカ、同じく浜松市中央区の陸軍高射砲第一連隊の門、そして——
磐田市 緑十字機不時着の碑(磐田市鮫島海岸)。
磐田から載っているのは、この1件だけです。
ちなみに、菊川市の横穴式防空壕跡地と、浜松市中央区の三方原飛行場掩体壕は、私有地のため所在地が非公表と書かれています。戦争の跡は、いま誰かの土地の上にある。これは私の仕事の話でもあります。
県の一覧に載るのが1件だとしても、磐田に残っているものは1件ではありません。順に見ます。
一つ目。鮫島海岸の、緑十字機不時着の碑。
昭和20年8月19日、参謀次長・河辺虎四郎中将を全権とする一行が、木更津から沖縄の伊江島へ飛びました。翌20日、マニラで連合軍から降伏要求文書を受け取り、伊江島から帰路につきます。
その帰りに、機体に異常が出ました。
昭和20年8月20日23時55分。河辺虎四郎中将以下15名を乗せた緑十字機が、鮫島海岸に不時着。
負傷者は出ませんでした。問題は、積んでいたものです。
降伏文書等の重要書類の入った、大量の鞄。
ここからが、磐田の話になります。
地元の記録によれば、大橋政治さんが助けを呼ぶため集落へ走り、山中早苗さんら鮫島の住民が、リヤカーを用いて何度も行き来し、その鞄を無事に運んでいます。
深夜の砂浜です。真っ暗です。トラックはありません。リヤカーで、何度も。
河辺中将は、自ら先頭に立ち、随行する軍人とともに村民へ最敬礼をして謝意を示したと伝わります。一行は浜松を経て、21日の朝に東京へ戻りました。
この出来事を語り継ぐために、「緑十字機不時着を語り継ぐ会」(緑語会)という団体があります。磐田市観光協会の紹介には、こう書かれています。
「鮫島住民が迅速、的確な支援をし、戦後平和の原点を作りました」。そして「この歴史を後世に語り継ぐことを目的とした鮫島自治会発の団体」だと。
連絡先は磐田市鮫島1435-3、電話0538-32-9417。案内文には、こうあります。「いつどなたでも参加できます。ご一緒に活動しませんか」。
この会は平和大会を開いてきました。第1回は2020年8月20日、鮫島海岸で。第7回は2024年8月18日(日曜)13時から16時30分、磐田市の長野交流センターで、入場無料。沖縄県知事のオンライン基調講演、緑十字機の搭乗者のご親族と支援者のご親族の交流、地元の三社祭礼囃子、伊江島のお土産販売——という中身でした。
行政の事業ではありません。自治会から始まった、住民の会です。
二つ目。竜洋袖浦公園に立っている、壁。
磐田市飛平松にある竜洋袖浦公園には、ジェット戦闘機が置いてあります。航空自衛隊のF-86F、全長およそ10メートル。平成5年(1993年)に公園ができたときに、航空自衛隊浜松基地から提供されたものと市の担当者が説明しています。
近所の子どもたちは、ここを「飛行機公園」と呼びます。
その公園に、大きな壁が建っています。遊びに来た人が「これは何だろう」と思う壁です。
正体を、市の文化財課の職員がこう説明しています。「戦闘機の格納庫があって、公園にあったのはその基礎です」。
ここは、明野陸軍飛行学校の天竜分教場の跡です。
県の文化資源データベースの記載を引きます。「昭和14年(1939年)から建設開始」「昭和17年(1942年)に開校」「1,600メートルの滑走路2本と格納庫4棟、射撃場、兵舎などが設置」「昭和20年(1945年)終戦により廃止」。
広さは東京ドーム42個分と紹介されています。そして、終戦までの3年間で900人の卒業生を出しました。
何のための学校だったか。市の職員の言葉です。「なんのための飛行場かというと、パイロットを養成する養成所だったんです」。
格納庫の周囲では、米軍の艦砲射撃が何度かあったと伝わっています。
いま、その基礎の上を、子どもが走っています。
三つ目。昭和19年の塹壕から出た、66点。
これは、私が昨日書いた記事とつながります。
令和8年7月10日の磐田市文化財保護審議会で、兜塚古墳の出土資料66点を市の指定文化財にする答申が出ました。その66点のうち、鏡・玉類・鉄刀がどう出てきたか。報告書にはこう書かれています。
「鏡、玉類、鉄刀は太平洋戦争中の昭和19年に対空陣地用の塹壕掘削にともない出土」。
飛行機を撃ち落とすための陣地を掘っていて、1500年前の鏡が出た。磐田に対空陣地があった、という事実が、文化財の指定理由の中に残っています。
そして、会長がその出土状況の記録を尋ねたときの答えが、こうでした。
「当時の文部省考古担当が来たという記録があるが、それ以外に詳細な記録は不明」。
82年前のことです。もう、わからない。
数字で見る——「語れる人」は、いま何人いるか
ここで、全国の数字を置きます。
厚生労働省が2026年7月1日にまとめた集計です。
被爆者健康手帳を持つ人は、2026年3月末時点で9万1105人。平均年齢は86.66歳。
前年からの動きは、こうです。人数は8025人減り、平均年齢は0.53歳上がりました。
この2つの数字を、並べて見てください。
1年で8025人。1日あたり、およそ22人です。
もうひとつ。総務省の人口推計(2024年10月時点)によれば、戦後生まれは1億991万6000人で、日本人全体の88.8%。
そして、終戦のときに20歳以上だった明治・大正生まれの人は、24万7000人。総人口に占める割合は0.2%です。
1000人に2人。
「戦争を大人として経験した人」に町ですれ違う確率が、それです。
もう一組、日本赤十字社が2025年6月に実施した調査の数字があります。
「戦争体験者の話を直接聞いたことがある人」は50.1%。「戦争体験を将来に伝えることが大切だと考える人」は87.6%。
この2つの差が、私にはいちばん効きました。
大切だと思っている人は9割近い。でも、実際に聞いたことがある人は半分。
気持ちは足りている。足りていないのは、場と、機会と、たぶん「きっかけ」です。
評価——良い点を三つ
1つ、8月15日という日に、市が自前の式を開き続けていること。
当たり前に見えますが、当たり前ではありません。
八月十五日は土曜日で、お盆の真ん中です。多くの職員にとっては休日出勤です。会場も押さえなければいけません。それでも、この日にやる。
しかも入場料なしで、市民ホールでやっています。役所の会議室ではありません。誰でも入れる建物で、誰でも入れる値段で開く。ここは評価します。
2つ、広島に子どもを送って、その子に磐田で話させていること。
私はこの設計が、いちばん賢いと思います。
広島に連れて行くだけなら、旅行で終わります。帰ってきて10日後に、市民の前で話す。そう決まっているから、子どもは向こうで「話すために」見ることになります。
そして聞く側にとっては、語り手が80代ではなく、10代になる。
これは、継承の形として正しい。体験を持つ人が減っていく以上、体験を持たない人が語れるようにするしかないからです。その練習を、磐田は毎年やっています。
3つ、いちばん濃い記憶が、住民の会に残っていること。
緑十字機の話は、行政がつくった物語ではありません。
鮫島自治会から始まった会が、大橋政治さん、山中早苗さんという個人名まで含めて記録しています。第1回の平和大会は2020年、不時着と同じ8月20日、同じ鮫島海岸で開かれました。
行政が主催すると、記録はどうしても「事案」の書き方になります。「住民の協力により書類を回収した」で1行です。
会の記録は、そうなっていません。誰が走ったか、誰がリヤカーを引いたかが、名前で残っている。これは民間にしか残せない種類の記録です。
注文——三つ
1つ。磐田の「戦争の跡」を、1枚にまとめて市のサイトに置いてほしい。
これが最大の注文です。
県のアーカイブに載っている磐田の遺構は、緑十字機不時着の碑の1件だけです。
けれど、この記事で挙げただけでも、竜洋袖浦公園の格納庫の基礎があり、昭和19年に対空陣地の塹壕を掘っていた事実があります。市の文化財課はすでに壁の正体を把握しています。知らないのではなく、まとめて置いていないだけです。
お願いしたいのは、「磐田市内の戦争に関わる場所」を1ページにまとめること。場所、いま何があるか、いつのものか、見学できるかどうか。これだけで十分です。
費用はほぼ要りません。すでに市が持っている情報を、1ページに集めるだけです。
2つ。竜洋袖浦公園の壁に、説明板を一枚。
これは小さい話ですが、効きます。
あの公園は「飛行機公園」と呼ばれて、子どもが遊びに来ます。その子たちは、戦闘機を見に来て、壁の意味を知らずに帰ります。
説明板に書くことは、4行で足ります。
「ここは明野陸軍飛行学校 天竜分教場の跡です」「昭和17年に開校し、昭和20年の終戦で廃止されました」「1600メートルの滑走路が2本あり、3年間で900人が卒業しました」「この壁は、戦闘機の格納庫の基礎です」。
戦争を教えるための施設をつくれ、とは言いません。すでに人が来ている場所に、一枚足すだけです。遊びに来た子が、帰り道に一回だけ振り返れば十分です。
3つ。証言の収録を、今年のうちに。
これがいちばん急ぎます。
もう一度、数字を置きます。被爆者健康手帳を持つ人の平均年齢は86.66歳。1年で8025人減っています。
磐田で不時着を実際に見た人、リヤカーを引いた人、飛行学校を覚えている人は、いま90歳前後です。
お願いしたいのは、大がかりな事業ではありません。音声だけでいいので、記録を残すこと。
スマートフォンで録れます。文字起こしは、いまはAIがやります。私は行政のAI活用には前向きです。こういう「人手が足りないから諦めていた作業」こそ、AIに向いています。
ただし、釘を刺しておきます。話を聞きに行くところは、機械にはできません。訪ねて、座って、お茶を飲んで、話が始まるのを待つ。そこは人の仕事です。AIができるのは、そのあとの整理だけです。
市には歴史文書館があります。文化財課には、審議会に館長が出席する体制もあります。受け皿は、すでにある。足りないのは、今年やる、という判断だけです。
結論——あと5日、そのあとの数年
提案をまとめます。
第一に、市内の戦争に関わる場所を1ページにまとめること。第二に、竜洋袖浦公園の壁に説明板を一枚立てること。第三に、証言の音声収録を今年のうちに始めること。
3つとも、新しい建物も、大きな予算も要りません。いまあるものを、いつ、どう残すかという話です。
そのうえで、読んでくださっている方への話を書きます。
8月15日、土曜日。かたりあ。開場9時、開式10時、入場料なし。申し込みも要りません。
お盆で家族が集まっている家も多いと思います。朝の2時間です。子どもや孫と一緒に行くには、悪くない長さです。
行けない方には、もう一つ。8月20日は、緑十字機が鮫島海岸に降りた日です。23時55分でした。海はすぐそこです。
最後に一言。
冒頭に書いた話に戻ります。
実家じまいの現場で、押し入れから軍隊手帳や古い写真が出てくることがあります。そのとき、私はいつも同じことを言います。「捨てる前に、一回だけ写真を撮ってください」。
理由は単純です。片づけの日は、たいてい期限が決まっているからです。解体の日取りが入っている。引き渡しが決まっている。その日までに家を空にしなければいけない。
そういう日に、じっくり中身を読む時間はありません。だから、判断だけ後回しにする。撮って、箱に入れて、家に持ち帰る。それだけで、失われずに済むものがあります。
市の歴史文書館は、市内の古い記録を扱っています。「これはうちの家の私物だから」と思っているものの中に、磐田の記録が混じっていることがあります。迷ったら、捨てる前に一度、電話をしてみてください。
そして、これは私の実感です。
実家じまいの相談は、たいてい「その人がもう話せなくなってから」来ます。
元気なうちは、誰も家の片づけの話をしません。縁起でもない、と言われます。だから話が来るのは、入院したあと、施設に入ったあと、あるいは亡くなったあとです。
そのとき、家の中のものはただの「もの」になります。誰も由来を説明できないからです。
戦争の記憶も、同じ形をしていると思います。
1年で8025人。1日でおよそ22人。終戦時に20歳以上だった人は、1000人に2人。
私たちは、片づけの日が来る前の時間に、いま立っています。
81年目の八月十五日は、5日後です。
出典(2026年8月確認)
- 磐田市民文化会館「かたりあ」「磐田市平和祈念式」(日時=「令和8年8月15日(土) 開場9:00 開式10:00 閉式11:30(予定)」、会場=「磐田市民文化会館「かたりあ」ホール(磐田市上新屋678番地1)」、入場料=「なし」、主催=磐田市。案内文=「過去の戦争の惨禍に思いを致し、平和を希求する想いを次世代へ継承していくため、磐田市平和祈念式を開催いたします。」問い合わせ=磐田市の担当課 TEL 0538-37-4814) https://www.kataria.jp/event/4735
- 磐田市「広島平和記念式典小中学生派遣事業」(「平成25年度からは小学生も加え派遣している」。令和7年度日程=7月25日 結団式及び事前学習会/8月5日〜6日 広島派遣/8月15日 磐田市平和祈念式参列。式では代表者が「平和への想い」を発表。目的=「未来を担う子どもたちに、原爆の投下された地で式典に参列することにより、様々なものを自身で感じてもらうと同時に、平和への思いを継承してもらいたい」。担当=総務部総務課総務グループ 電話0538-37-4803。ページ更新日2025年9月18日) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/kosodate_kyouiku/shougakkou_cfuugakkou/1007410/1007411.html
- 静岡県「戦争アーカイブで紹介した戦争遺構の所在地」(更新日2026年2月26日。掲載4件=御前崎市「トーチカ平和祈念公園」〈御前崎市池新田〉/磐田市「緑十字機不時着の碑」〈磐田市鮫島海岸〉/浜松市中央区「三方原飛行場トーチカ」〈浜松市中央区半田町842〉/浜松市中央区「陸軍高射砲第一連隊の門」〈浜松市中央区城北3丁目5〉。菊川市「横穴式防空壕跡地」と浜松市中央区「三方原飛行場掩体壕」は私有地のため所在地非公表。担当=健康福祉部福祉長寿局地域福祉課 電話054-221-2318) https://www.pref.shizuoka.jp/kenkofukushi/shakaifukushi/senbotsusha/1079290.html
- 磐田市観光協会「緑十字機不時着を語り継ぐ会」(「昭和20年8月20日深夜、戦争終結に日本の命運を背負った軍使一行を乗せた緑十字機が燃料不足で鮫島海岸に不時着」「鮫島住民が迅速、的確な支援をし、戦後平和の原点を作りました。」「この歴史を後世に語り継ぐことを目的とした鮫島自治会発の団体」「いつどなたでも参加できます。ご一緒に活動しませんか。」所在=磐田市鮫島1435-3、電話0538-32-9417) https://kanko-iwata.jp/member/member-list-5386/
- 緑十字機不時着を語り継ぐ会(緑語会)「緑十字機物語のたどった道」(「昭和20年8月20日23時55分、河辺虎四郎中将以下15名を乗せた緑十字機が鮫島海岸に不時着」。大橋政治さんが「助けを呼ぶため集落へ走」り、山中早苗さんら住民が「リヤカーを用いて何度も行き来し降伏文書等の重要書類の入った大量の鞄も無事に運ぶことができました」。第1回平和大会=2020年8月20日、鮫島海岸) https://sites.google.com/view/ryokugokai/
- いーわいわた「緑十字機不時着を語り継ぐ会 第7回 平和大会」(2024年8月18日〈日〉開会13:00/閉会16:30、会場=磐田市 長野交流センター、入場無料、主催=緑十字機不時着を語り継ぐ会〈緑語会〉。内容=沖縄県知事によるオンライン基調講演、オンライン座談会、緑十字機搭乗者ご親族と支援者ご親族との交流、地元芸能〈県立横須賀高校による三社祭礼囃子など〉、伊江島のお土産販売。問い合わせ=0538-36-1024) https://www.citydo.com/prf/shizuoka/iwata/event/19720/
- アーツカウンシルしずおか 文化資源データベース「明野陸軍飛行学校・天竜分教場跡」(所在地=「静岡県磐田市飛平松字新田125-1 竜洋袖浦公園内」。「昭和14年(1939年)から建設開始」、昭和17年(1942年)開校、「1,600メートルの滑走路2本と格納庫4棟、射撃場、兵舎などが設置」、昭和20年(1945年)終戦により廃止。現況=「旧式ジェット戦闘機1機と格納庫の壁が建ち並んでいます」) https://artscouncil-shizuoka.jp/culture-resource-db/detail.php?id=1610
- テレしずWasabee「【磐田・竜洋袖浦公園】公園にある“戦闘機”と“謎の壁” 歴史を伝える使命を担ったホンモノだった」(磐田市文化財課・木村弘之さん「戦闘機の格納庫があって、公園にあったのはその基礎です」「なんのための飛行場かというと、パイロットを養成する養成所だったんです」。飛行場は東京ドーム42個分、滑走路2本、終戦までの3年間で900人の卒業生。戦闘機は全長約10メートル。磐田市都市整備課・佐東大輔さん「平成5年(1993年)に公園が完成した時に、航空自衛隊浜松基地から提供されたと聞いています」。所在=静岡県磐田市飛平松125-1) https://wasabee.media/articles/15102608/
- 中日新聞しずおかWeb「戦後75年爪痕 磐田の飛行学校跡地に巨大な壁」(磐田市飛平松の竜洋袖浦公園。明野陸軍飛行学校天竜分教場の跡地で1993年に公園として整備。戦闘機の格納庫の一部が現存し、ドーム型の屋根に覆われていた設計。格納庫周囲では米軍の艦砲射撃が何度かあったと伝わる。近所の子どもたちから「飛行機公園」と呼ばれ親しまれている) https://www.chunichi.co.jp/article/100442
- 中国新聞デジタル「被爆者健康手帳を持つ被爆者、9万1105人 平均年齢は86・66歳 厚労省がまとめる」(2026年3月末時点で「9万1105人」、前年より8025人減。平均年齢「86・66歳」で前年比0.53歳上昇。厚生労働省が2026年7月1日公表) https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/856484
- J-WAVE「日本人全体に占める、戦後生まれの割合が88.8%」(総務省人口推計・2024年10月時点。戦後生まれ=「1億991万6000人」「88.8%」。終戦時に20歳以上だった明治・大正生まれ=「24万7000人」「0.2%」。日本赤十字社が2025年6月に実施した調査で「戦争体験者の話を直接聞いたことがある人」50.1%、「戦争体験を将来に伝えることが大切だと考える人」87.6%) https://www.j-wave.co.jp/original/tokyounited/archives/percent_world/2025/08/15-094504.html
- 磐田市「令和8年度 第1回 磐田市文化財保護審議会 報告」(令和8年7月10日開催。「鏡、玉類、鉄刀は太平洋戦争中の昭和19年に対空陣地用の塹壕掘削にともない出土」。中山会長の質問「昭和19年の出土状況に関する記録類はあるのか」に対し「当時の文部省考古担当(現在の文化庁美術工芸課)が来たという記録があるが、それ以外に詳細な記録は不明」。兜塚古墳出土資料66点を市指定有形文化財に指定する答申書が提出された) https://www.city.iwata.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/016/726/r8-1houkoku.pdf
- ウィキペディア「緑十字飛行」(昭和20年8月19日、河辺虎四郎中将を筆頭とする降伏全権団が木更津海軍飛行場を出発し伊江島へ。20日にマニラで降伏要求文書を受領し帰路につく。深夜、遠州灘沖で機体異常が発生し鮫島海岸〈現・静岡県磐田市〉に不時着。負傷者はなく、村民の協力により文書を回収。河辺中将は「自ら先頭に立ち、随行する軍人とともに村民へ最敬礼」。浜松を経て8月21日朝に調布へ到着) https://ja.wikipedia.org/wiki/緑十字飛行
※日時・会場・式次第・料金は変更される場合があります。おでかけの前に磐田市または磐田市民文化会館「かたりあ」の公式ページで必ずご確認ください。広島平和記念式典小中学生派遣事業について本文に記した日程・人数は磐田市が公表している令和7年度の内容であり、令和8年度の実施内容は本文執筆時点で確認できていません。緑十字機の不時着に関する経緯・人名・時刻は、静岡県・磐田市観光協会・語り継ぐ会・百科事典等の記載に基づくもので、資料により細部の表記が異なる場合があります。竜洋袖浦公園に残る構造物について、本文では「格納庫の基礎」という市文化財課の説明と「格納庫の壁」という県データベースの表記を併記しています。「あと5日」は2026年8月10日から8月15日までを筆者が数えたものです。被爆者健康手帳の統計は全国の数値であり、磐田市内の内訳ではありません。1日あたりの人数は年間の減少数を365で割った概算です。不動産や実家じまいの現場に関する記述は、筆者が業務で受けた相談の範囲での実感であり、統計に基づくものではありません。
